断捨離は苦手です。

捨てられないモノもブログなら残しておいていい気がする。

「え、一応東大です」

どこの大学か聞かれて、真っ先に「東大です」と答えることを好まない東大生は少なくないと思います。

www.tnews.jp

この記事がなかなかすごくて、大学名を言いたくない理由として「逆学歴差別」系のものしか扱っていません。誇りを持っているとかそういうことは関係なく、どうしても色眼鏡で見られるというのはいわゆる有名大学の学生共通の悩みなんでしょうか。

似た話題として、こんな記事も。わかる。わかるよ。笑

rick08.hatenablog.com

逆学歴差別の文脈で、最近感じている違和感として以下の二つがあります。

  • 東大生の生態について扱うテレビ番組が多数放映されている。
  • 東大生が逮捕されると、ニュースには「東大生逮捕」として大学名が報道される。

前者に関しては、放送人権委員会に提訴するとした記事が話題になりました。

anond.hatelabo.jp

個人的には後者の方が深刻だと思っていて、要は「東大生であることと犯罪することって関係なくない?」ってことです。 「東大生ら逮捕」とかいう報道がされるや否や、「勉強はできてもやっていいことと悪いことの区別はつかないのね」とかいうコメントがウジ虫のように湧いてきて疲れます。一般の大学生が犯罪しても「大学生逮捕」なのに、東大(と一部の大学)だけ大学名を出すのは理解に苦しみます。もはや「逆暴力団」としての東大の扱われよう。(いや、もしかしたら暴力団が犯罪を起こしがちだというのも僕の偏見によるものなのかもしれませんが……。我々は偏見から逃れることはできなくて、それとどううまく接するかというのは、また別の話題。)

個人的な体感としては、罪を犯すところまでいかなくても、ちょっとミスをしてしまっただけで「東大生のくせに」とか言われてしまうのが根本的に嫌だという感情が「"一応"東大です」という言葉になる原因の一つなんじゃないかなと思っています。もちろんほかにもたくさん理由はあって、それらは推して知るべしという感じなのですが。

こういう違和感に対してひとつの答えを出してくれるツイートを見つけました。 はてなブログの仕様で連ツイは前のツイートも一緒に表示されるようなので、2ツイート分しか貼り付けてませんが3ツイート分引用していると考えてください。

この3つのツイートに日頃感じている違和感がきれいに言語化されていて驚いたのですが、つまるところ、

  • 一度ミスをした人を絶対に許さない
  • 特に成功した人への当たりが強い
  • 成功者を軽蔑することに快感を覚える

こんな社会が隠蔽体質やマスコミのレベルの低い質問を生むのだということだと解釈しています。

成功した人への当たりが強いというのは理不尽な話です。「出る杭は打たれる」「実るほど頭が下がる稲穂かな」などと言われますが正直あまり納得できません。どんな分野であれ結果を出した人が正当に評価される社会であってほしいのに、結果を出したことが逆に自分を苦しめるのって、おかしくないですか。

「結果を出した人」としての自覚をもって、そういう偏見に負けないような実力をつけろ、というのが世間的な考え方なんだと思います。 「その分我々はほかの人より何倍も成長している」と考えて自分をだますことはできますが、なぜそんなことを強いられる必要があるのでしょうか?

しかし、ここでちょっと冷静になって考えてみます。 いわゆる弱者が「弱者を救済しろ」と言うのが自然であるように、東大生が「逆学歴差別を助長するな」と考えるのは自然だと思うのですが、そうだとすれば、「成功者が叩かれる社会はおかしい」と考える時点で「成功者側」の考えをしているということになるのでしょうか。 ということは、この問題の根本にあるのは、「自分は成功者側ではない」と考えている人が多いことにあるのではないでしょうか。

例えばある年に行われた東大入試だけを考えたら当然受かった人もいれば落ちた人もいるわけで、その意味では「成功した人」と「失敗した人」は明確に二分されます。しかし、落ちた人の中で研究者としてのちに大成する人は大勢いるでしょうし、芸術方面で有名になる人や、幸せな家庭を築く人もいるでしょう。 結局成功か失敗かなどというのは各自の考え方の問題だというのが持論ですが、こういう考えが広まれば、もうちょっと生きやすい社会になるんじゃないかなあとか。

まあでもそうとは言え、性格の問題でネガティブになりやすい人というのはいるでしょうし、自分の人生をポジティブに考えろよと簡単に言えない話なのはよく分かっているのですが……。

現状ぼくにできることはこんなしがないブログを書くことだけですし、これ以上考えが進んでいるわけではないのですが。過激なことを言っている割には別に特に主張もない、なんか中途半端な感じになってしまった。

生きやすい世界になってほしいなあ。