断捨離は苦手です。

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大学院で身につくもの

この記事は、東京大学航空宇宙工学科/専攻 Advent Calendar 2019 19日目の記事です。

修論締め切りまで1か月を切っているというのに正直ブログなんて書く暇ないんですが……。今日の担当にした1か月前くらいの自分を殴りたい。

さて、航空宇宙出身として何が書けるかってぼくには院試と進路系の話しかないわけです笑 去年は院試に落ちた話をしました。 今回は、航空宇宙を飛び出して情報系の専攻に進んだ身として、「大学院で身につくもの」について考えていきたいと思います。

航空宇宙を飛び出した経緯

就活の面接では、「どうして航空宇宙から情報系に進んだの?」とよく聞かれました。まあ履歴書をみたら当然聞きたくなりますよね。 こちらも答えをばっちり用意してある鉄板の質問なのでありがたいのですが、答えとしてはだいたいこんな感じになります。

  • 周りの人を見ていると、自分はそんなに宇宙に熱がなかったことがよくわかった
  • 航空宇宙は様々な分野の統合として成り立っている分野であり、良くも悪くも広く浅くということになりがち
  • 大学院に進むからには、分野としての専門性を身に着けたい
  • 院試当時は情報系の分野をいずれは勉強したいと思っていたし、卒論も情報分野寄りのテーマにしていた

要は「専門性を身に着けたい、航空宇宙では専門性は身につかない」と言って分野を変えたといっても過言ではないのですが、修論に追われる今、果たして専門性は身についたのか、考えてみようと思います。

大学院で身につく専門性

大学院で研究をすることによって身につく専門性とは何でしょうか。

そもそも「専門性」の定義があいまいなので議論のしようもないのですが、「その人しか全貌を知らない分野についての知識や、その人しか扱うことのできない技術」という定義にすると、専門性というのは所属するコミュニティにおける相対的なものであることがわかります。たとえば今ぼくがいる研究室で「画像処理の専門性がある」とは口が裂けても言えませんが、アカペラサークルで「画像処理について専門で研究しています」というのは言ってもいいことだと思います。アカペラの活動の中で画像処理の知見が生きるタイミングがもし来るのだとすれば、その際は「画像処理の専門」としてつたないながらも何かしら発言することはできる(発言することを求められる)のかなと思います。まあそういうわけで「専門性」とはあいまいな概念ですが、ここでは「社会全体で見たときの専門性」くらいの解釈にとどめておこうと思います。つまり、ぼくが「アカペラについて専門性がある」といっても(言葉の使い方に違和感がありますが)許されるということだとします。

話を戻すと、「大学院で研究をすることによって身につく専門性」について考えるならば、大学院でしか身につかない知識について考える必要があります。 研究室に所属していれば自分が行う研究の方向性はある程度定まるので、自分の研究のベースとなる分野の基礎知識については勉強しやすい(勉強せざるを得ない)環境にあることは事実かと思います。また、情報系であればたいていは研究対象のシステムを構築し、それに対して実験なりなんなりを行っていく流れになるかと思いますので、システムを構築する際のノウハウというのは少しずつたまっていくでしょう。

しかし、これらは何も「大学院でしか身につかない」かといわれると疑問が残ります。本当にやる気があるならばひとりでも研究はできますし、実際研究室や研究所に所属していないながらも研究をしている人も、多いとは言いませんがいることは事実です。

大学院で身につくもの

書店で教科書を買って読んだり、論文を読み漁ったり、学会に参加したりというのは大学院に行っていなくても(お金さえあれば)できるわけです。大学院で身につくのは専門性とはちょっと違うのかもしれません。となれば、大学院に通う意義とは何か。たぶん一般的には先生から指導を受けられることになるんだと思います。

数百字の論文概要を書くだけでも、主語と述語の一致、口語的な言葉の回避、冠詞の使い方、などなど大抵初稿は真っ赤になって返ってきますし、ひとたび学会参加が決まれば、効果的なスライドの使い方、論理展開の微調整、ポスターに載せるべき内容、デモ展示を準備するノウハウ、などネットの海からちゃちゃっと探してくるにはさすがに無理がある内容を学ぶ必要があります。いわゆるソフトスキルを洗練させるのが大学院なのかなあという印象を持っています。

大学院に行く意義がないといっているわけではありません。大学に行かなければそもそも研究の何たるかを知ることは一生ないでしょうし、ぼくみたいな凡人にとっては、実験器具やその使い方のノウハウ、研究費、場合によっては研究テーマも含めてかなりの部分でお膳立てをしてもらって、それでやっとのことで書くことができるのが論文というものであることは痛感しています。

内定者として就活のイベントに参加させていただく機会があり、そこで学生から「大学院に行くか迷っている」と相談を受けたことがありました。曰く、大学院に進んで専門性を身に着けたほうがいい会社に入りやすいのか、あるいは早く働いて経験を積んだ方がいいのか、わからなくなっているとのことでした。

今その学生の質問に答えるとしたら、

  • そもそも修士は2年しかないのでぶっちゃけ大差ない
  • 大学院で身につくのは専門性というよりもソフトスキル
  • 学部で勉強している内容と仕事にしたい内容がかけ離れており、仕事にしたい内容について大学院で学ぶことができるのであれば、院進する意義はあるかも
  • あとは分野による()

という感じになるかと思います。大学院に進んでいなければ得られなかった経験はとても多いのですが、それは必ずしも専門性ではない、というか専門性が身につかなくたって大学院に行く意義はあると思うよ(修論はつらいけどね)、というお話でした。