断捨離は苦手です。

捨てられないモノもブログなら残しておいていい気がする。

フッ軽って哲学的じゃない?

なんか師走っぽい話題ですね。

 

「フットワークが軽い」とは、ここでは「飲み会などの誘いを断らない」ことだとします。

飲み会の予定を断らないということは、その誘いがあった日は予定が空いていたということだと思うんです。

「来週の土曜日飲みに行こうぜ」

「おー空いてるからいいよ」

来週土曜日の夜に飲み会が入りました。すると、来週土曜日の夜は予定がある状態になります。

なにを言っているんだと思われるかもしれませんが、この状態で別の人から土曜日の夜に飲み会に誘われたとすると、

「あーごめん、その日あいつと飲むからパスで」

影分身できない限りフットワークは軽くなりません。要するに、フットワークが軽い、つまり予定が空いているという状態は、予定を入れてしまった瞬間に崩れるわけです。これが「フッ軽は哲学だ」と言っている真意です。

 

当然ですが、フットワークが軽いと飲み会に誘われやすくなります。来てくれそうな人を誘いたくなるのが人情というものでしょう。飲み会に誘われやすいと、その分いろんな人と知り合い、仲良くなる機会が増えます。飲み会に限らず、人生のチャンスを生み出すひとつの要因としてフットワークの軽さというのがある気がしているのですが、ここで自分のカレンダーを見返してみると、1か月先の予定はたいてい埋まっているという現状に気づかされます。これでは自分のフットワークは重いと言わざるを得ません。上の議論が正しいとすれば「来月のフットワークは軽い」とかいう状況が起こりうるはずなのですが、どうやらフットワークの軽さとはそういうものではないみたいです。

 

ひょっとして、「フットワークが軽い」というのは印象でしかないのでしょうか? いま自分から見てフットワークが軽いあの人も、職場の飲み会には全然参加しない「付き合いの悪い人」である可能性も十分あります。とすると、「このコミュニティではフットワーク軽くありたい」みたいなものを各々調整しているのでしょうか?

あるいは、「極限まで予定を詰め込むことがフットワークの軽さだ」という人もいました。「月曜から一週間始まるから日曜夜の飲み会はやめとこ」などというのではなく、「空いてるから飲み会行けるわ」という考え方そのものがフットワークの軽さだと。そういう意味でいえば、馬鹿みたいに予定を詰め込んでいる僕は、もしかしたらフットワークが軽い部類になるのかもしれません。

 

とはいえ、入れられる限り極限まで予定を詰め込むのが必ずしも褒められた行為だとも思いません。人の誘いのままに予定が埋まっていく人生は「他人に生かされている人生」だと思いますし、ときにはひとりで気ままに時間を使うのも大切だと思います。すでに予定が入っているもののこのイベントには絶対に行きたいみたいなのは往々にしてある話ですし、「やりたくないことをやっている時間はねえ」とは言われるものの、期待値が低かった飲み会がめちゃくちゃ有意義だったということもあるあるかと思います。そのあたりの時間の使い方ってみんなどうしてるんでしょうか。財布を分けて家計を管理するように、仕事の飲み会は月何日までとか、アカペラの練習は月何回までとか、そういう感じで制限を加えた結果空いた時間を自分のために使うとか、そういうことが大事なんでしょうか。わからん。

 

やりたいことばかりたまっていって現状取り組んでいることは何一つ成し遂げられていないことを考えると、いくら時間があっても足りない、人生って短いなあと思うのですが、悩める若者にアドバイスをください。